高根城址
2010年03月24日
こんにちは、北風小僧です。だいぶ春めいてきた感じなんですが、まだちょっと肌寒いですね。それでも北遠の山々にはすでに色鮮やかな花をちらほらと見かけることができます。今日はちょっと北の方に足を運び、高根城の紹介をしたいと思います。
高根城は15世紀前半に奥山氏によって築かれた山城です。城は三角山(450m)の山頂に築かれました。今でこそ、この城址をみると「なんでこんなところに山城を…」とか率直に思っちゃうんですが(笑)、その当時この辺り一帯は北遠と南信濃を結ぶ重要な地域だったようです。そこを山の上からにらみを利かす、というのがこの城の役割だったんですねぇ。そんな訳で、城の所属もコロコロ変わってます。最初は今川氏の勢力だったんですが、武田、徳川家が台頭してくると、どこに付くかで内部分裂し、結局は武田勢となりましたが、最終的に1576年に武田勢が北遠から一掃されると、高根城はその役目を終えて廃城となったようです。

早速城址に行ってみようと思ったんですが、駐車場から結構歩かないと城址までたどり着けません。しかもその道中がキツイことキツイこと!いやー、たかだか400m程度の小山となめてましたが、トンデモナイことでした(汗)。途中何休憩したかわかりません(汗)。

ようやく登り切りました。苦労した甲斐あって、山頂から眺める町並みは格別です!

山頂には山城が再現されており、良い雰囲気を醸し出しています。こちらは大手門で、訪れた人たちを出迎えてくれます。

こちらは虎口から本曲輪を眺めたところです。井楼櫓がよく目立っています。こうしてみると、いかにも山城って感じがしますね♪
城の雰囲気はとても良く、まるで自分が戦国時代か大河ドラマの中にでも紛れ込んだような気にさせられます(笑)。本曲輪自体は小ぢんまりとしているんですが、二の曲輪、三の曲輪などがあり、山城として必要十分な機能が備わっていたと思われます。平地の城とはまた違った趣があるので、是非一度訪れることをお勧めします!…ただし体力に自信があれば、ですけど(笑)。
高根城は15世紀前半に奥山氏によって築かれた山城です。城は三角山(450m)の山頂に築かれました。今でこそ、この城址をみると「なんでこんなところに山城を…」とか率直に思っちゃうんですが(笑)、その当時この辺り一帯は北遠と南信濃を結ぶ重要な地域だったようです。そこを山の上からにらみを利かす、というのがこの城の役割だったんですねぇ。そんな訳で、城の所属もコロコロ変わってます。最初は今川氏の勢力だったんですが、武田、徳川家が台頭してくると、どこに付くかで内部分裂し、結局は武田勢となりましたが、最終的に1576年に武田勢が北遠から一掃されると、高根城はその役目を終えて廃城となったようです。
早速城址に行ってみようと思ったんですが、駐車場から結構歩かないと城址までたどり着けません。しかもその道中がキツイことキツイこと!いやー、たかだか400m程度の小山となめてましたが、トンデモナイことでした(汗)。途中何休憩したかわかりません(汗)。
ようやく登り切りました。苦労した甲斐あって、山頂から眺める町並みは格別です!
山頂には山城が再現されており、良い雰囲気を醸し出しています。こちらは大手門で、訪れた人たちを出迎えてくれます。
こちらは虎口から本曲輪を眺めたところです。井楼櫓がよく目立っています。こうしてみると、いかにも山城って感じがしますね♪
城の雰囲気はとても良く、まるで自分が戦国時代か大河ドラマの中にでも紛れ込んだような気にさせられます(笑)。本曲輪自体は小ぢんまりとしているんですが、二の曲輪、三の曲輪などがあり、山城として必要十分な機能が備わっていたと思われます。平地の城とはまた違った趣があるので、是非一度訪れることをお勧めします!…ただし体力に自信があれば、ですけど(笑)。
Posted by 北風小僧 at 11:19│Comments(0)
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