二俣城址
2010年03月25日
こんにちは、北風小僧です!せっかく桜が咲き始めてきたというのに、なんか雨が降ってまた寒さがぶり返してきましたね…。もうすぐ桜が見ごろになるでしょうけど、天候が良いことを祈ってます!特にツアーだけは雨降らないで(笑)!さて、先日は鳥羽山公園を紹介しましたが、今日はそのお隣の城、二俣城をご紹介してみようと思います。
北遠地域は遠州と南信濃を結ぶ重要拠点であったため、この辺りの城のほとんどは、今川、徳川、武田勢の勢力争いに巻き込まれて所属勢力がコロコロ変わっています。二俣城もその例外ではなく、100年余りの間に今川→徳川→武田→徳川と変わっています。最終的には徳川領となったんですが、その時にはすでに世が天下平定の方向に向かっていることもあり、二俣城は軍事的意味合いを失ってしまい、ほどなく廃城となってしまいました。
ところで二俣城は、徳川家康の長男である徳川信康が、父親から切腹を命ぜられたことで世に知られています。うーん、不名誉な事件で有名になっちゃってますね…。まぁ、それだってもう何か信長の言いがかりって気もしますけど…その後信康の遺体はすぐ近くの清瀧寺に安置されました。清瀧寺は二俣城から徒歩でも行けるます♪

駐車場から二俣城址入り口を見たことろです。ここからちょっと歩いたところに公園があります♪

現在では城址は綺麗に整備され、公園になっています。公園内に入ると、二俣城説明のアナウンスが流れます。最初知らなくてびっくりしました(笑)。

公園の中央には、天守台の石垣があります。ちなみにこの石は、浜名湖周辺で調達されたみたいです。当時こんなところまでどうやって運んできたんでしょう?やっぱり天竜川を遡ってきたのかな?ちょっとびっくりです。
この界隈は、関連する城や寺院が数多く存在するので、休日などは散策すると面白そうですね。特にこの時期、桜を愛でながらの散策はきっと楽しいと思います!僕も暇があったらちょっと歩きまわってみるつもりです♪
北遠地域は遠州と南信濃を結ぶ重要拠点であったため、この辺りの城のほとんどは、今川、徳川、武田勢の勢力争いに巻き込まれて所属勢力がコロコロ変わっています。二俣城もその例外ではなく、100年余りの間に今川→徳川→武田→徳川と変わっています。最終的には徳川領となったんですが、その時にはすでに世が天下平定の方向に向かっていることもあり、二俣城は軍事的意味合いを失ってしまい、ほどなく廃城となってしまいました。
ところで二俣城は、徳川家康の長男である徳川信康が、父親から切腹を命ぜられたことで世に知られています。うーん、不名誉な事件で有名になっちゃってますね…。まぁ、それだってもう何か信長の言いがかりって気もしますけど…その後信康の遺体はすぐ近くの清瀧寺に安置されました。清瀧寺は二俣城から徒歩でも行けるます♪
駐車場から二俣城址入り口を見たことろです。ここからちょっと歩いたところに公園があります♪
現在では城址は綺麗に整備され、公園になっています。公園内に入ると、二俣城説明のアナウンスが流れます。最初知らなくてびっくりしました(笑)。
公園の中央には、天守台の石垣があります。ちなみにこの石は、浜名湖周辺で調達されたみたいです。当時こんなところまでどうやって運んできたんでしょう?やっぱり天竜川を遡ってきたのかな?ちょっとびっくりです。
この界隈は、関連する城や寺院が数多く存在するので、休日などは散策すると面白そうですね。特にこの時期、桜を愛でながらの散策はきっと楽しいと思います!僕も暇があったらちょっと歩きまわってみるつもりです♪
Posted by 北風小僧 at 17:06│Comments(0)
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